第1回米づくり塾

 企画to募集

 野々川郷は農家約50戸が主として水稲と茶、畜産、アスパラガスを栽培している波佐見町でも有数の中山間地区である。この地区の中でも百枚田と呼ばれる急峻な棚田が連なる一帯は周りに人家が全くなく、神六山(447m地元では陣ノ辻と呼ぶ。)の南側の裾野に水田と茶畑が広がるが、猪被害や高齢化、後継者不在等によって少しずつ荒廃地が目立つようになっていた。こうした現状を憂う農家有志が少しづつ農地の再生作業を行い、国の補助金を活用して活動を開始していたのである。こうした中から中山間地直接支払事業の役員さんを中心に米づくり実行委員会が組織され、「第1回米づくり塾」の募集と準備がすすめられた。ローカル新聞や農業新聞等でも取り上げられ、メンバーは大いに盛りあがる。長崎市と佐世保市から家族とグループが参加することになり、受け入れまで話し合いが持たれる。

 またせっかくの米づくり塾ということで、内容は種まきからやろうということになり、普通行われる「田植と稲刈」だけでなく、田ん草取い(たんくさとい)までしゅうじ(やろう)ということに。つまり、除草剤や化学農薬防除をせずにあえて「きつい」作業に参加者と一緒に取り組むことになった。

 種まきtoマイ(米)碗

 予定地の面積が小さい(6枚約11a)ので今回は手作業で箱苗とポット苗2種類、品種はヒノヒカリと黒米少々。作業はスムーズに運び、近くの畑に運んで生育する。米(マイ)碗づくりは厚手の小ぶり飯碗に絵付けをして秋の収穫祭の時にかまど炊きの新米をこの器で食べようというもの。女の子らしい小さな可愛い茶碗が目を引いた。

 田植え

いよいよ田植え当日がやってきた。天候にも恵まれ、メンバーの手による代かきも万全に済まされていて、参加者には「マイ田んぼ」が割り当てられた。それぞれにメンバーやスタッフが張りつき、一緒に田んぼに入るが、何しろ狭地の棚田である、手植えが久しぶりとあって和気藹々の家族的雰囲気でまず小狭地を済ませた後、少し離れた圃場整備された一枚(6a)に向かう。ここでは2条の歩行田植機も使うことになり、参加者全員これにも挑戦、「曲がりなりにも」機械植えが終わった。参加者は田植えの疲れを「波佐見温泉~湯治楼」で癒した。

 草取いto油振い

米づくりは昔から草と害虫とのたたかいである。特にヒエや雑草が生えてくると草といが必ず必要となる。今回は除草剤を使用していないので完全に手作業であり、田んころがしも使用することに。この日はとりわけ暑く、朝からジリジリと日が差し体力を消耗していくがこれまた数の威力・・・何とか除草につとめた。(お疲れ様)

 稲刈い

待望の稲刈、黄金色に染まった棚田・・・いよいよ稲刈の始まりである。鎌による手刈部隊とバインダーによる機械部隊、10月というのに残暑が例年になく厳しく汗だくでの作業がつづいた。そして田毎に並べられた竿に稲が架けられていく。全ての稲が架け干しされた棚田の光景は美しい。稲こぎまでいい天気であって欲しいと願う。

 稲こぎto収穫祭

いよいよ米づくりの最終プログラム「稲こぎ」である。この日は福岡からツアー客も合流、稲こぎが初めての人が多く、ハーベスター(稲こぎ用機械)に関心しきり。あいにく前日から天候が悪く、主催者は当日現地で実施できるかやきもきの連続であったので何とか圃場で終えることができ、ほっとした。この間、一部メンバーは先に収穫していた新米をかまどで炊いてみんなを待ち受けた。

 副菜は地元女性グループ「野の風」の手になる多彩なものばかりで参加者に大変好評であった。また、ヒノヒカリ新米のほか黒米や野菜、加工品も即売され人気を博した。

 まとめ

こうしてはじめての「米づくり塾」は無事終了したが、参加者が少なめではあったにもかかわらず、逆に家族的雰囲気で地元と塾生が一体となり、何よりも地元が大いに盛り上がったことは大きな収穫といえよう。

 江戸の昔から守られてきた百枚田という地域の貴重な資源が核となり、地域の結束を呼びおこし、波佐見弁で「また来年もしゅうで」の合唱となったのである。